他人に無関心は病気?無気力なのは何故?

ストレス社会といわれる現代。

精神を病む人が増えているといわれるこの社会で、中にはあまりに他人への無関心さ、自分の無気力さに悩んでいる人も少なくないようです。

今回の記事では、そんな無関心、無気力を引き起こす理由、原因について解説していきたいと思います。

もしかするとあなたの心は見えないフェンスの中に閉じ込められているのかもしれません。

他人に無関心な病気とは

さて、あなたに無関心や無気力をもたらす病気というものはあるのでしょうか?

あるのだとすれば、それは一体どんな病気なのでしょうか?

その説明の前に、病気であろうとなかろうとその症状の発症の理由は大まかに次の2パターンに分けられると思います。

  1. 育った環境、親や友人などの外因的な理由から発症した
  2. 遺伝、生まれつきの気質など、内因的な理由から発症した

このパターン別に、症状発症の経緯を追っていきたいと思います。

1.育った環境、親や友人などの外因的な理由から発症した場合

人の人格というのは、およそ6歳までの親や養育者との関係及びその教育法によりその基盤となるものが作られるというほど、育った環境から受ける外因的な影響は大きいといえます。

それに嘆いたり恨んだりするのも悪くないですが、次第に飽きてもきますし、大人になったあなたならそれを都合よく修正していくこともできますから、興味があれば読んでみて下さい。

人の人格形成に歪みを与えてしまう家庭環境や家族関係は機能不全家庭などと呼ばれ、その具体的な例としては

  • 親による子供に対する否定、極端に厳しい躾
  • 過干渉、過保護
  • 虐待、冷酷な扱い
  • 親から子供に対する無関心
  • 親がアルコール依存や強く慢性的な情緒不安定な様子であった
  • 親が不在がちの家庭で育った

おおよそ自分の性格のことで常に悩みを抱えている人というのは、以上の項目の中の少なくとも1つまたはいずれかに該当しているパターンが多いです。

それでも健常に、またはそう見えるかのように育つ人もいますが、やはり心に深い闇を持っている人が多いでしょう。

またごく一般的な健全な家庭でも、以上の項目を当てはめようと思えば少なからずそうであると思える要素はあるので、「自分の育った環境は親が厳しすぎたから」とか「親がだらしなかったから」などそれに囚われる必要はありません。

どこの家庭でも多かれ少なかれ機能不全があるわけで、親も自分と同じように未熟な状態でなんの経験もなしにぶっつけ本番で親になるのです。

その親もまた未熟な親からぶっつけで育てられた訳なのですから、もはや誰も責めてもしょうがないといえます。

2.遺伝、生まれつきの気質など、内因的な理由から発症した場合

遺伝や生まれつき、性格的に親に似るということもあるでしょう。

遺伝によって親から受け継いだものは、例えば体、顔などの外見的特徴であれば目に見えてわかります。

しかし性格などの内面的なものは、親に似たとしても遺伝として似たというよりも、親の信念や意見、態度や行動パターン、習慣、習性を見て真似して、教えられることによって似るそうです。

ともすれば自分の性格や気質は、遺伝や生まれつきなどの先天性のものではなく、成長過程で身に付けた後天性のものだということになります。

また他に、例えばうつ病のような性格的、遺伝的要因も大きいと考えられている、一見して先天的な要素も大きく孕んでいるかのように思われる精神的な症例に対して研究された結果によると

遺伝的影響によってうつ病などの原因となりうる要因はわずかで、ほとんどは生活上の影響が要因となっている。

ということが分かっているんだそうです。

このように、うつ病などの精神的な病気であろうと他人への無関心だろうと無気力だろうと、性格などの内面的な要素は親からの遺伝であるものも少なからず含まれますが、反対にほとんどの要因は生まれた後の成長過程で身につけものだといえます。

遺伝だからどうにも変えようがないと思っていたことが、後天的で後から身につけたものだと分かったのであれば、「それを修正して書き換えればいいよね」と私は思います。

他人に無関心な病気とは?Part2

とはいっても「アスペルガー障害とかれっきとした障害だってあるじゃない?」という声も聞こえてきそうです。

確かにそうかも知れません。

しかし筆者はここにも1つ落とし穴があると考えます。

確かにそういった特定の特徴や傾向をもった人たちはいるのですが、アスペルガー症候群という呼び方はそれら特定の傾向をもっている人達一括りにして、そこに症状名という名前をつけただけにすぎません。

もともと治療するのに便宜上、それらの名前を付けたのかもしれませんが、そこに症状名や病名をつけた途端に、その人はアスペルガー障害というレッテルを貼られてしまうのです。

その病気や障害レッテルを貼られてしまったが故に、本人も症状の自覚や認識を深めてしまって余計にひどくなるという事はたくさんあるのです。

本来はそこにある症状があっただけなのです。それに病名や診断名を付けて考えすぎるのはどうかとも思うのです。

そこには生活に支障をきたすものがあったのかもしれません。

それにはしかるべき克服法が必要であると思いますが、年々見慣れない精神疾患や障害と称する名前が続々と増えてきますが、その診断名の症例を自分に当てはめてみて「自分はこの病気かもしれない、この障害の例も当てはまっている」といらぬ症状や病気を更に自分に引き寄せてしまう結果になりかねないのです。

近年はやたらと「自分はコミュ障だから」「○○パーソナリティだから」と自分にレッテルを貼っている人をリアルでもネットの世界でもよく見かけるのですが、そういう人達はネットで調べた症例をむやみやたらに自分に当てはめるばかりで、「それは単なる思い込みかもしれない」と一度疑ってみることはしたのでしょうか?

どうしてもレッテルを貼っておきたいのであれば止めはしませんが。。

ここで筆者が言いたいのは、うつ病や障害、精神疾患の存在の否定がしたいのではなくて、それらの便宜上で付けられた名前というレッテルに縛られ、囚われすぎないで下さいという事です。

なぜ人はこれらのレッテルに自分を縛りつけたがるのでしょうか?

それは安心したいからでしょう。

これらの症状で医者から診断されて、それにより自分の生き辛さや人生が上手くいかない理由が分かる事で、安心を得て、いい方向に進む人もいます。

しかしドクターショッピングなんていう言葉があるように、必要以上に自分の状態をあれやこれやの病名に当てはめて、「なんらかの診断名が欲しい」となってしまえば本末転倒です。

精神疾患における病名、障害名、それらは治療の便宜上で付けられたレッテルでしかありません。

それらの便宜上レッテルの症状に、自分を当てはめにいく事がおかしいのです。

それらの心理特性は、本当に病気を引き寄せます。

この記事を読みに来た方達は、恐らく自分の内面的要素に悩んでおられる方々がほとんどだと思います。

ここで誤解を恐れずに言いますと、精神疾患の話に限って言いますが、それらの病気や障害名はほとんどの場合ただの幻想です。

それらのレッテルに自分を縛りつけにいく事はやめましょう。

確かにうつ病やアスペルガーという病名はこの世の中で認識されていて、それらの病名の症例に当てはまる特徴を持った人達は存在します。

でも順序は逆なのです。

それらの病名は、ある特定の特徴を持った人達を一括りにして、名前をつけただけにすぎません。

この記事を読んでいるという事は、自分の内面、性格に悩みを抱えていて、それを改善する事で人生をより良いものにしていきたいと考えておられるのではないでしょうか?

そうです。だからそこにはただの性格の特徴があるだけで、それが問題であるならばその問題を解決するだけなのです。

決してあなたの抱える問題やその原因をないがしろにして無視しましょうと言っているのではありません。

それらのレッテルに自分を縛りつけ、没落させるのではなく、自分の思いこみでなく「真実」を見つめ、然るべき処置と克服法を見つけて実践しましょうということです。

「自分をより良いものにしたい」という意思があるのであれば、うつ病だろうとアスペルガー障害だと関係ないのです。

うつ病やアスペルガーの症状なんてネット上にいくらでも載っていますからここでは説明しません。

筆者が言いたいのは、決してそれらの病気というレッテルに囚われて自分の人生をダメにしないで下さいということだけです。


なぜあなたは無気力なのか

色々書きましたが、結局本人が無気力であることで人生をつまらないものと感じている、人生を苦痛だと感じているのであれば、一刻を早くそれを解消しない理由はないでしょう。

まず最初に申しておきたいのが「真に無気力で無関心なひとはいない」ということです。

あなたが無気力に感じるようになったのはいつ頃からでしょうか?

大人になってからですか?社会に出てからですか?学生になってからですか?こどもの頃から、あるいは物心ついた頃から既にという方もいるかも知れません。

人それぞれ時期は違うかもしれませんが、いずれのどんなパターンにせよ必ず何らかの理由があったに違いありません。

その理由を本人が自覚しているにせよしていないにせよ100%何かしらの理由があるのです。

考えられる理由をいくつか挙げてみましょう。

  • 虐待、いじめられた経験がり、深く心が傷ついている
  • 幾度の失敗やミス、挫折の経験
  • 自分に対する無価値観
  • 社会、人間に対する恐怖、不信感がある
  • やりたくないことをやっている(やらされている)
  • etc…

上記に挙げた内容はほんの一部ですが、例えばこれらの理由は相互に大きく作用しあっていて(虐待やいじめを受けた結果、社会や人間に対する恐怖や不振感をもつようになった等)、大きな目で見ると重複した内容かも知れませんし、また、そう思うに至った経緯や理由も人それぞれあるでしょう。

ただこれらいずれの観念や行動にも共通して言えることは、「自分や自分の能力に対するイメージの見積もりを下げている」ということです。

自分に対する見積もりが低いということはつまり、「自分には何もやれない、もしくは大したことはできない」と意識的にも無意識的にも自分が思い込んでいるのです。

この世の中には人を無気力にしてしまう罠がたくさん潜んでいます。

会社に行けば競争を強いられ足の引っ張り合いの世界、リアルでもネットの中でも夢を語れば「お前にそんなことは無理だ」と言わんばかりに潰しにかかってくる人、親に「○○がしたい」と頼めば「家にはお金がないから」と聞いてもらえず、逆にそこそこ恵まれた家庭だったが大きな苦労や喜びもない平坦な成長期をすごしいた事で野心もやる気もでない、いったん努力はしてみるもののイマイチ報われた感覚がなく「自分はこんなもの」と考える無限ループ、、

人を無気力、無関心にさせてしまう原因は本当に色々あるのだと思います。

これらの要因を複合的に経験していくうちに、もしくは人生のある時点での強烈で衝撃的な出来事の経験によって負ったトラウマが理由だということもあるでしょう。

トラウマを抱える人はまずその解消から始める必要があります。

しかし最終的にはこれらのどのパターンが理由なのかどうかなどは大して重要ではありません。

トラウマを負った人の理由や内容がどうでもいいなどといっているのではありません。

どういう事かというと、無気力や無関心で悩んでいるというのは、その本質を追及すれば「他人、世間、などの自分の外にあるモノサシを使って自分の価値や基準、行動指針の決定をしている」ということに他ならないからです。

いじめられた人は、他人から「ブス」だの「バカ」だのと罵られたことを基準に「自分汚れた無価値な存在」と決めつけ、失敗や挫折を味わった人は「また人前で情けない姿をさらして落ち込むかもしれない」と怯え、やりたくもない仕事や勉強をしている人は、大学名、企業名、仕事内容、給与やその他の待遇の良さなどの世間体の良さを最大に重要視して道を選ぶような、一般に親や世間が良しとするレールの上をただ言われるがままに歩いていく。

そこに自分のモノサシで選んだ観念や決定、生き方はどれほど含まれているのでしょうか。

こんな生き方の上に延長された人生の中にいかほどの選択や経験を積み重ねていったところで、心の虚無感やさもしさは消えるどころか歳を重ねていくほどに冷たく、そして重たあなたの心にのしかかってきます。

いずれあなたの考えは、「所詮何をやったって、、」「どんなに頑張ってそのときは報われたように見えても結局、、」という気持ちに支配され、心は消耗していくのです。

そのとき人は、あらゆる人や物事に無関心で無気力になっている自分に気が付くのです。

自の決定や人生は他人がどう何と言って評価しようとも、その責任は自分にしかとる事ができません。

せれで無気力で無関心になった自分をみて、こうなったのは「あいつらのせいだ」と恨むなら気の済むまでそうすればいいでしょうが、それに飽きたら自分で人生を選び直すチャンスです。

遅すぎるということはありません。いつだって「やろう!」と思えたと時こそがあなたにとっての一番早い時期なのです。

その時期は人それぞれ違いますし、その事実に一生気が付けないまま人生を終える人が多くいるのですが、その事実に気が付けただけでも、あなたも私もハッピーということです。

その時期が早いとか遅いとかも、人との比較で生まれるものですから、その時点で自分のモノサシは使えていません。

いいですか?このことに気が付いたあなたにとって今後の人生で一番大事なことは、「自分のモノサシを使って人生を生きていく」という事だけです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

真にあなたが自分の無気力や無関心さにつまらない、苦しい人生を送っているのだとすれば、あなたは世間や他人という自分の外にある価値基準というモノサシの中に自信の人生の決定や生き方が依存している可能性が高いです。

もちろん自分が万能の神などではありませんから、人生において教わること、参考になること、学ぶことは他人の存在や意見、考えなしには自分の人生はあり得ません。

本来人は誰しも自分の中にモノサシをもっているのです。

ただ多くの人は自分の中にあるモノサシの存在を知らない、使わないことで心の奥底という、まるで長年使わずにどこに行ってしまったのかさえ分からなくなってしまったタンスの中の古物のようにそのモノサシは、「自分こんなもの持ってたんだ」という状態になっているのです。

思い返してみて下さい。

生まれてからこのかた、何にも一度たりとも何にも1%の興味もしめしたことがなくて、「あれやってみたい」「これやってみたい」という思いに駆られたことがない人などいません。

おもちゃでもゲームでも、音楽でも洋服でも車でも、化粧でも人間に対してでも。

本当に何にも興味、関心、やってみたいという気力を感じたことはないのですか?

それは絶対にないはずです。

でもいつからかあなたは、親や世間、他人から「そんなものばかりに興味をもってもしょうがない」という刷り込みを入れ続けられてきたことによって、さも好きなことや新しいことに興味をもつことが悪いことであるかのように感じさせられてあらゆる興味を削がれてきたんじゃないでしょうか。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があるくらいですし、この人間社会、世界の文明の発展は、興味、関心、「やってみたい」という気持ちこそが発端で、その連続の積み重ねが全てです。

かのエジソンは、幼少期に彼が機械に興味を示したことから、母親は彼にあらゆる機械や器具の掲載された辞典を買い与え、その後も彼の母親は彼が興味を持つもの、興味をもつことに対して肯定的に捉え、その興味を満たす協力をし続けてきたそうです。

それが歴史上最大の発明王となり、その後の文明発展から現代の生活、もれなく私たちにまでその興味の産物を貢献し続けていますし、今後もそれは永遠に続くのです。

あなたは病気なんかではありませんし、むしろ機械とその発明に熱狂的ともいえる程に興味、関心を示したエジソンのほうが病気だともいえます。

だったらもはや病気とかそんなことはどうでもいいではありませんか。

一番大事なのは、あなたの中に眠ったままのモノサシを引っ張りだしてきて、その価値基準に沿ってあなたの人生を決定して生きていく事ではないでしょうか。

そうすればあなたの心は他人だろうが物事だろうが自然に興味、関心が沸き、無関心や無気力とは無縁の人生をいきることができるのです。

あとは単に、個人毎でその関心や興味の対象や度合いが違うということだけなのです。

こちらの記事もご覧ください。⇒他人に無関心な人の特徴や心理


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