あがり症に緊張で声が震える。克服には何をどう試せばよい?

あがり症、赤面症、緊張体質、人前で声が震える。止めたいのに止められない、気付いたときには緊張であがる寸前、そう思った頃には声が震え出す。

「緊張しないように」と意識すればするほど、というか意識せざるを得ない心境に陥り、まるで自分が自動操縦で操られているかのように毎度くるめられるこのパターンは一体何なのか。原因は?克服する方法は?いくら考えても見つからないその答えをみてみましょう。

「あがり症」、「声が震える」症状の克服法

まずは手っ取り早く克服法が知りたいという人の為にその方法をご紹介しておきましょう。そして後の章にて紹介する脳のメカニズムを読めばより深いヒントが得られると思います。

まず第一にはマインドセットとして「変わる」「克服する」という決意を決めることが必要です。今まで心の中にあった余計な思考や雑念、貧弱な意識を焼き払って浄化させるのです。それらはもうあなたに必要のないものですので、そっと手放してあがり症を根元から断ち切ります。

「あがらないと決める」と言っておきながら矛盾するようですが、まずは応急処置として今日から使える土壇場での対処法をお伝えしておきます。まずは簡単なスキルとして抜け道を持つことで心の余裕を作るのです。

まずはマインドセット編

  1. 「自分が何を伝えたいのか」を認識する
  2. どういう風に伝えたいのかを見つめ、イメージトレーニングをする
  3. 深呼吸する
  4. 上吊った重心を、しっかり下腹部に落として地に足を着ける
  5. 腹から声を出す

以下は簡単な応急処置ですが、基本的には参考にしなくても喋れるようになることを考えてほしいので、どうしようもないときにこういう方法を取ればいいという事を知っておいて頂ければという趣旨で書いておきます。

  1. あがりそうになったら一旦喋るのをやめる
  2. 肺に溜まった空気と、喉元、腹部に溜まった力をフッと抜く
  3. 再び息を吸い、喋りを開始する

順序は至ってシンプルです。順に詳しく見てみましょう。

1.あがりそうになったら一旦喋るのをやめる

喋っていて「あ、今あがりそう」「声が震えそう」と思ったとき、次の瞬間には本当にあがります。しかし逆に言えばあがりそうなときや、声が震えそうなときというのはこのように直前に分かるはずです。

そのまま喋り続けても必ずあがります。それでキツイ思いをするぐらいだったら、あがる前にいっそのこと言葉の途中でも声自体を止めてしまいます。このときの重要なポイントとして、1つ諦めの意識が必要です。

何を諦めるのかと言えば、「スムーズに話そうとすること」です。なぜかと言えば、たいていあがりそうになって、その後も無理に言葉を発し続けようとして、あがったり声が震えてしまうときというのは、「スムーズに流れるように、流暢に言葉を発しなければならない」という観念に囚われてしまっています。

そのときの心理として、「緊張しているのを悟られたくない」「口下手な奴だと思われたくない」「ここで言葉を止めると変な雰囲気になってしまう」などこのようなことをとっさに考えてしまっているのではないでしょうか。それでも無理に言葉を発し続けようとした結果、息継ぎのタイミングや呼吸が一気に乱れてあがります。

例えば誰かの講演会やスピーチ、会見の映像や音声、街中で演説している人、あるいは日常で聞く人が喋っているときの「言葉と言葉の『間』」をよく聞いてみると分かりますが、実は自分が思っているほど誰も彼もが上手に喋っているわけではなかったりします。

それに気が付くだけでも「自分だけではないんだな」と心の“安心”や“余裕”を少しでも持つことができます。

そして必要以上に「スラスラと“喋らなければならない”」脅迫観念的に考えることをやめる状態を目指します。

例えばところどころ言葉に詰まったり、噛んだりして意外と自分が思っているほど違和感なかったりします。ですがあがる人というのは、平静を装うように「流暢にスラスラと」「上手に」まるでガイダンスやロボットかのように「話さなければいけない」と脅迫観念的に考えてしまう傾向があるので、トーク中のちょっとした気がかりにテンパって余計しどろもどろになったり、緊張が増して声が震えたりします。

「~しなければならない」という脅迫観念は何事においても事を厄介にさせる要因を孕んでいます。トークに関しても話が上手な人ほどそういった脅迫観念がない故うまく喋れるといったパラドックスが存在します。

ですがただ流暢でスムーズなだけの音声というのは、案外聞いていて面白くありませんし、眠たくなります。普通に人間らしい喋りの方が心が通っていて人の心に刺さるものです。喋るシーンといっても説明会やプレゼン、スピーチにセミナー、講演会などシーンによって、話す内容の分かりやすさや、聞き取りやすさ、面白さなどの求められるものが違いますのでどういう印象が良いなどとは一概には言えませんが。

話を戻して、そうしたロボットやガイダンスかのように「上手く喋らなければ」という気持ちさえ諦めた後、そんな思いも忘れ去られてしまって完全に意識から消えていったとき、あなたはスムーズにスラスラと喋れるようになっています。そのときがくるまではスラスラと喋りなんかしなくたってなんの問題も違和感もありません。

「上手く喋らなければ」と気負いすぎて、ちょっと言葉に詰まったり噛んで、「ヤバい」というような焦りが芽生えたとき、実際にあがってしまったり何だか変な違和感のある空気感がそこにいる人達に共有されて、どんどん喋れなくなっていきます。

ですので、喋るのに慣れるまで、喋るときはどんどん、しかも出来るだけ普通に堂々と『無駄な音』を挟んだり、言葉と言葉の間の間を取ってみたり、ときには言葉を止めて詰まらせて、あがりそうになった気持ちを正常に戻す時間を稼ぎながらごまかしていくのです。これ不思議なんですが聞いている方はほとんど違和感ないんですね。

「あえて実験的に」そうしてみるぐらいの心の余裕が、更にあがり症からの脱却に繋がります。そしてあがり症のことなんてすっかり忘れて心から囚われが消えたとき、あなたは何も意識せずに自然に言葉を発している自分に気が付くと思います。

どうせあがるときはあがるし、声が震えるときは震えるんですから、そうなると感じたらその直前に思い切って言葉を止めてみるのです。実に気が楽になり、「別に途中で言葉を止めてもいいんだ」ということが分かると平穏と落ち着きを感じるはずです。

2.肺に溜まった空気と、喉元、腹部に溜まった力をフッと抜く

これもかなり重要なポイントになります。というか、ステップ1の「一旦喋るのをやめる」からステップ2への移行がいかにスムーズに行えるかが大きなポイントになります。

ステップ1でお伝えした「あがりそうになったら一旦喋るのをやめる」というステップですが、これを聞いた人の中にはその喋るのを辞めて「変な空気感」になったら嫌だと恐れている人がいるかと思います。ですが『間』というものが変なものになるかどうかは、次の喋り出しにかかっています。

仮に一見変に思えた間でも、何事もなかったように普通に喋りを再開すれば、話を聞いている側からすれば違和感を感じないんですね。つまりその『間』のあとにどういった展開が訪れたかどうかで、その間が変だったかどうかを人々の脳は瞬間的に定義します。

させ、「仮に一見変に見えた間でも」と言いましたが、間のあとにくる展開に関わらず、その『間』それだけで変な間であるとして受け取られる場合があります。それは一体どういうものかと言いますと、「空間が固まる『間』」です。

これは先ほど申しましたステップ1から2への移行がいかにスムーズに行えるかがポイントであるとお伝えした理由に繋がってきます。例えば、そのまま喋りを止めただけでは空間が固まってしまうのです。

どういうことかと言いますと、自分があがりそうになったときのことを思い出してもらえば分かるのですが、このとき肺にはしっかり出し切っていない余計な空気と、喉元や胸部、腹部には非常に力が入っています。つまり喋るのを辞めると同時にこの余計な体内の空気と力、つまり筋肉の緊張を抜かなければ、頭、体、表情が固まったままのこわばった状態となり、その空間自体が固まってしまいます。

それを聞き手の意識が「どうしたのかな」「大丈夫かな」と感じて「変な『間』」になってしまうのです。それでも先ほどお伝えしたように、すぐに平然としゃべり出せば大抵はそんなに違和感ないのですが、できる限り「変な『間』」を共有しない為にも、力を抜いた自然な『間』を作り出せるのが理想です。

自分が力と緊張を抜いた自然体に戻れば、空間のこわばりや固まりも同時に解除されて、違和感のない『間』を作り出せるのです。このときにどうしても余裕がなければ、「すいません」とか「緊張してまして」とか言いながら落ち着いて数秒間自分の呼吸を整え直し、再び喋り直せば少なくとも「あがり」や「声が震える」といったようなことは起こりません。

これもある種の諦めというか、開き直りの意識が必要ですが、「いざというときは一回話を止めても大丈夫」という逃げ道を作っておくのといないのとでは、そもそもの安心感が違いますので、これもあがり症や声が震える対策には有効な手段だと言えます。

3.再び息を吸い、喋りを開始する

最後のステップですがこれもかなり重要なポイントになります。これを行うことによって、単純に気持ちと空間の仕切り直しができます。再び喋りを開始する際にはできる限り大きく吸うのがいいでしょう。

前に作っておいた『間』を「変な『間』」として人の脳内に定義させない為に、『間』のあとの喋り出しは平然と行う必要があります。これをお笑いの人なんかは上手く笑いに転嫁させたりする技術を持っていますが、そんなことはプロの技ですので真似しようとしなくていいです。

平然と喋り出すには「腹から出た声」が必要になります。その安定した落ち着きのある声を聞いて、人は安心感を感じ、脳が「今の『間』は変な間ではなかった」と定義します。その安心感のある腹からの声を出すには、一定の空気量が必要ですので、ここでできる限り大きく生きを吸った方がいいのです。

大抵あがるときや声が震えるときというのは、胸元や喉元だけで呼吸をしたり言葉を発したりしようとしています。これでは明らかに声の安定感が生まれませんので、不安定な高い声になってしまいます。

人は低く落ち着いた、ゆったりとした声に安心感と心地良さを感じると言われています。それは何も周りであなたの声を聞いている他人だけではなくて、喋っている張本人である自分の脳にも安心感と心地良さを感じさせています。その結果自分の心が更に落ち着きを取り戻し、普通に喋りやすくなるといった好循環に繋がります。

逆に息があがって、高い早口声で喋っている自分の声が聞こえてくると更に緊張が増して焦ってきてあがります。ときには勢いに任せて喋ることも大事だったりしますがそれは焦って息があがるのとは別の話です。

ですので普段から出来るだけゆっくり喋ることを意識するというのも有効です。また「喋る」ということに意識をフォーカスするよりも、その声である『音』を「聞く」という所に意識をフォーカスさせることもあがり症や声が震えるといった事への対策として有効です。

どうしても「喋ろう」という所を考えすぎると、「喋る」ことに意識が強くフォーカスしすぎて失敗してしまうからです。

あがり症対策に必要な日常での心がけ

前までの章でご紹介している瞬間瞬間での対処というのも大切ですし、有効ではあるのですが、あくまで土壇場での対処法でしかありません。正直なところあがり症の克服に関しては、土壇場での対処だけではどうにもならないことがほとんどでしょう。

それよりもまず大前提として一番大事なのは、常日頃での日常での心がけであると感じます。人間というのは、日常での心がけが、土壇場やいざという場面に立たされたときに大きく反映されるからです。もっと言えば自分としての生き方が反映されると言っても過言ではありません。

土壇場というと少々大げさなイメージがあるかも知れませんが、それは言い換えてみれば日常での心がけこそが、緊張してあがりそうになったときのとっさの気持ちの切り替えや判断、振る舞いに大きく表れるということです。

始めの章でも述べましたが、まずは1つ決意を決めて「あがるのを止める」という決意が必要です。それを強く心に誓うには勇気とエネルギーが必要になりますが、まずはそのように度胸を試す覚悟が必要かと思います。その決意をした上で日々どういう対策ができるか、どういう心がけが必要なのかを考え、日々生活していくのです。

ではどういう心がけが大事なのか、結論から言いますと、ズバリ「リラックスして生活する」ことであります。単純に言えば、普段からリラックスして生活している人は、予想外の展開や極限状態になっても、限りなくリラックスして状態を保つことができるということです。やはり土壇場になって慌てる人というのは、常日頃から心のどこかに落ち着きを得られず、いつ何時であろうとそもそものベースとして心が緊張しています。

それは言い換えると自分のペースで生きることがで出来ていない人であるということができます。自分の軸が持てず、いつも他のペースに巻き込まれ、合わせることで一杯になっている、常にどこか他人に急かされていきているところがあるのかも知れません。

そういった人は常に心に虚無感や空虚感を抱え、心の充足や平安を得られずに、そもそもの生活自体が苦しい気持ちと格闘しながら生きている人なんではないかと感じます。本当はもっと自分のペース、基準で生きることができるはずなのに、いつからかその感覚が自身の人生の中で完全に欠落してしまっているんじゃないでしょうか。

やはり人間は自分の望まぬ選択をさせられているとき、自分の望む人生を生きることができていないとき、ソワソワと心に落ち着きがなく、充足感も得られません。その間自身の自尊心(セルフエスティーム)は傷つき続け、下がっていくという悪循環に陥ります。

故に心はどんどんリラックスとも程遠い関係になっていき、常に緊張がほぐれず交感神経優位になりっ放しの状態となり、結果的にあがり症や声が震えるといったような症状の大きなリスク要因となり得ます。自律神経失調症もほとんど同じ原理から発するものではないかと考えます。

もちろんその性格、心境、にぞまぬ人生の選択をさせられるようになる原因としては、過去の経験やトラウマ等様々な複合的な要因が絡まっているかと思いますが、いずれにしても最終的に症状を発症するメカニズムとしての大筋は間違っていないはずです。

自分の望む人生を生きていようとそうでなかろうと、人間として時に緊張するのは当然ですし、それは生命にとって必要で、それそのものが悪い訳ではありません。しかし焦燥感と空虚感に駆られて虚しくなる緊張と、挑戦的で心の生きた人生で生きる中で感じるどこか高揚感に似た緊張とは質が全く異なります。私がお伝えしたいのは、後者のような緊張感を持って生きる人生を目指しましょうということなのです。

「あがる」ということに関して言っても、あがるときというのは、「これを喋りたい、伝えたい」よいう内なる欲求から湧き上がるという動機ではなくて、「喋らなければならない」という周囲の軸に基づいて作られた動機です。

あなたは喋る必要はないのです。しかし喋りたいのなら喋ればいいのです。あがってしまうぐらいなら、声が震えるぐらいなら言葉を止めていいというその権利があるのです。しかしまた反対に、あがっても声が震えながらも喋る権利があるのです。

この選択する自由という権利を持っている自覚、それが自分の意思、選択で生きるということです。それが分かれば自分の人生を主催しているのも自分であり、他の空気に飲み込まれて緊張なんかしなくても、その場の空気を形作っている張本人は自分であり、「どんな空気を作るのか」「どのようなシーンを自分で主催するのか」という選択肢は自分の中にあるということ、それを思い出すことなのです。


あがり症が起こるメカニズム

一体あなたの心の中では何が起こっているのか。更に掘り下げて詳しくメカニズムを見てみましょう。少々ぶっ飛んだ内容に聞こえてしまうかも知れませんが、興味があれば是非読み進めてみて下さい。シンプルに見ると、至極当然の話であることがお分かり頂けるはずです。

あがり症のベースにあるもの

あがり症のベースには対人恐怖があります。対人恐怖は人からの目、評価に気を取られているということです。それに心、つまりはあなたの脳みそが「人からの目や評価」という負のエネルギーに占領されてしまっているということです。

人に操られる脳

それはあなたの脳が人に操られていると言い換えることができます。それによって望まぬ選択、人生を歩まされているのだと言ったらあなたはどのように感じますか。それを馬鹿げているとお考えでしょうか。

あがり症のベースには対人恐怖、人の目線、評価への強い関心、いや関心どころか心がそれらに占領されるほどがんじがらめに縛られています。それはすなわち、人、世間の価値観や基準に強く従って生きているということです。

そんなことではどう考えても自分の理想の人生など歩めやしません。だって自分の価値観や好きのいう気持ちに蓋をして、それを見ないように人が好しとするものに必死にしがみつこうとして生きていることになるからです。

それではやがて自分がどう生きたいんだろう、何が好きなんだろうといった自分の人生で最も大事にすべき心や感情がどんどんないがしろにされていきます。

やがて空虚感や虚無感で心は疲労困憊していくばかりで、心の充足も喜びもないロボットのような人間に作りあげられていきます。そうするとその満たされない思いが焦燥感や絶望感、そして緊張を生み出し心や体になんらかの不具合を生じさせてきます。

つまりその不具合の中の1つにあがり症や声が含まれるということも考えられます。もちろん人間生きていればときに緊張もして当然なのですが、もしもこれが例えば回避的で消極的になって自分のしたい選択かや人生から引き離されていくというような、日常や社会生活に支障をきたすほどのレベルになるようであれば、それは「もうそれ以上そっちへ行くな、方向転換しろ」というような心身からのシグナルであるかもしれないと言っているのです。

脳に操られる人

そして人に操られた脳に操られているのが、「あがり症」に苦しめられているその人なのです。最後にそのメカニズムについてもう1つ付け加えておきます。緊張に駆られ、あがり症に苦しみ、人前で声を震えさせる、あなたこのような一連の心理パターン、行動は何らかの働きによって確実に、そして完全に操作されているということが言えます。

唐突にこんなこと言われても、読んだあなたは笑うかも知れません。しかし考えてもみて下さい。分かっているのに止められない、やめられない、何度反省しても同じ失敗を繰り返す、人と仲良くしたいのにできない、恋人が欲しくてもできない、いくら節約してもお金は貯まらないし入ってもこない。

望んだものはいくら欲しても自分の元にやってこないのに、いらないもの、遠ざけたいものはいくら逃げても押しのけようともどこまでも自分を追いかけてくる。これらあなたを取り巻くすべてが、全てが何らかの力によるコントロールの上で成り立っていると考えたら、あなたは不思議に思いますでしょうか。

では一体何にコントロールされているというのか。最終的な答えはあなたの「脳」です。もっと具体的に言えば、あなたの「深層心理」、「潜在意識」にです。あなたの脳みそは、自分で思うよりもずっと合理的であり、その反面いらぬ不合理な1面も持ち合わせています。

どういうことかと言いますと、あなたの脳みそは合理的な判断と計算のもと、あなたの望まぬ現実、すなわち緊張やあがり症、声が震えるという体の働きも含めて不合理極まりない行動をあなたに取らせているという風に言い換えることもできます。その望まぬ現実から脱するためには、「脳にコントロールされる自分」ではなくて「脳をコントロールする自分」という主従関係を取り戻す必要があります。

人間の感情、潜在意識というのは実に不合理で理不尽な結果を自分にもたらす行動を取るのです。それは怒りや憎しみ、恨みや罪悪感を晴らそうとする心理が原動力の大元になっているのですが、実に興味深い内容です。

この内容について詳しく知りたい方は、以下の「まとめ」本文下にある記事よりご覧ください。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回の記事ではあがり症、声が震えるという悩みを持つ方への克服法をお伝えしてみました。実践してもその克服は一瞬で行えるものではないかも知れません。ある程度自分で試行錯誤しながら心に染み込ませ、無意識でも勝手にできるようになれば、もうほとんど克服できたも同然です。そうして過ごしている内に、いつの日かかあがり症なんて言葉さえ忘れていたという日がくると思います。

それと、会話やスピーチ時に「あがらずに喋れた」という経験値を積み上げていくことが大切です。しばらくのあいだ「あがる」という経験をせずに済むという経験値が溜まっていったとき、いちいち喋るのを止めたり、無駄な音を挟んで正気を保つ時間稼ぎなどせずとも、普通に喋ることができるようになっていくはずです。

その「あがる」という経験をしばらくしなくて済むように、例えば喋っている途中に「声が震えるぐらいだったらその前に喋るのを止める」「あがるぐらいだったらその前に無駄な音を挟んで未然に防ぐ」対策が必要なのです。

アナウンサーやお笑い芸人で、話の途中で喋るのを止めたりしていれば致命傷ですが、あなたがそれらを生業としているのでなければ何の問題もありませんし、どうせ何も対策しないで失敗するだけの会話なら、どんどん失敗する中で克服法を実践して試していくのです。そしてそのような気楽な構えで、開き直りの姿勢があることがあがり症克服の最も重要なポイントだったりします。いずれにしても自分を客観視、俯瞰して見る意識は欠かせないポイントかも知れません。

よほどスピーチ慣れしていたり喋りが上手な人もいますが、そういった人というのは『パブリックスピーキング』というトークに関する技術を研究したり磨いたりしていて、意図的にトークを操る習慣を持っています。いわばそれはプロの仕事なのでいきなりそういう人達の真似をできるかといえば難しいでしょうが、参考になる点はたくさんありますので、研究してみることもあがり症の改善には有効になるはずです。

トークに関して「パブリックスピーキング」というスキルを磨くことを考えることも重要かとは思いますが、トークという大層なものよりも日常のあがり症を克服したいというのであれば、まずは簡単な「抜け道としてのスキル」を考えることは重要です。

最後の章にお伝えした、脳みそがあなたの行動を操作しているという話ですが、人間の不可思議で不合理な行動や、その習慣が引き寄せる望まぬ現実はどうして起こるのでしょうか。

こちらは赤面症について書いた記事ではありますが、「赤面症」をそのまま「あがり症」と読み替えてもらえばそのまま通じる内容ですので、心の詳しいメカニズムが知りたい方は是非こちらの記事もご覧ください。↓

心体の緊張、顔の赤面・・・原因は何?対処法が分からない・・・

2018.02.25

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